リムスキーコルサコフ 軍人時代

日記

こんにちわ!

今日は5月23日(木曜日)でした。

 

 

皆様今日はステキな一日をお過ごしでしたか?

さて、
まずは起床直後のスイーツから

 

 

チョコ蒸しパン(小麦粉、ココアパウダー、はちみつ、ベーキングパウダー、ピーナッツ、ロッテのガーナ、ラミー&ガーナ、粉糖)
これをブラックコーヒーと

 

次に今朝の朝食メニューから

 

生卵でたまごかけごはん

納豆(ぬか漬け昆布)

チキンナゲット(ケチャップ&粒マスタード)

こうや豆腐、もやし、ぶなしめじ、えのき(酢醤油)

 

白飯

野沢菜

ネギと乾燥わかめのぬた

味噌が余ってしまいどうしたものかとおてがるれしぴをさがしていたら、ぬたがなぜか入ってきました。

 

ヤマザキのパン党宣言!6枚切り
(クリエイトでしか今のところ見たことないめっちゃ安くて美味しいパンです!)

これを、

バター&粒あん
マヨネーズバター&マヨネーズj
蜂蜜

をのせてたっぷりいただきましたぁ。

 

 

続いて夕飯です。

 

混ぜうどん(生卵のせ)

ネギととわかめのぬた

味噌汁用に買った味噌が味噌汁つくるのやめたので余っていました。
何かお手頃料理で消費気ないかと思っていたのですが、そうだ、ぬたがあった。
そう思って作ってみました。

青い部分の茹で加減がわからないのですが、徐々にころあいを読めるように頑張ります。

あと、食後にアーモンド40g

 

卵豆腐

 

最近のお気に入り
グレープフルーツ

 

 

以上です。

さて、今回のテーマは

 

リムスキーコルサコフの軍人時代

 

です。

 

私はクラッシック音楽を日常的に聞くので、彼の名前は知っていました。
ただ、なじみがある曲を知らないので、文字通り名前だけだったのですが、今朝聞いた、車田和寿さんの動画で、彼が軍人として戦場で長い期間勤務して、その間の作曲活動がほとんどできなかったことを知り興味を持ちました。

また、その後も、両親の死去や、友人の死去の後でも作曲活動ができにくい時期があったようです。

その辺をチャットGPT先生に聞いてみました。

 

リムスキーコルサコフが、軍人時代や親がなくなった後に作曲活動が出来なくなったことを教えてください。

ChatGPT

ニコライ・リムスキー=コルサコフは、19世紀ロシアの作曲家であり、彼の生涯にはいくつかの困難な時期がありました。特に、軍人としてのキャリアや家族の喪失は、彼の作曲活動に影響を与えました。

 

軍人時代

リムスキー=コルサコフは、若い頃にロシア帝国海軍に入隊しました。彼の軍人としてのキャリアは1862年から1873年まで続きました。彼は海軍士官としての任務に従事し、多くの時間を船上で過ごしました。この時期、作曲に割く時間が限られていたため、創作活動はほとんど進みませんでした。しかし、海軍勤務の合間に作曲を続ける努力をしており、彼の初期の作品のいくつかはこの期間に作られました。

 

親の死去

リムスキー=コルサコフの母親が1871年に亡くなり、父親もその直後に亡くなりました。この喪失は彼に深い影響を与え、一時的に作曲活動が滞ることとなりました。親の死後、彼は感情的に大きな打撃を受け、創作への意欲を失いました。しかし、友人や同僚の励ましを受け、徐々に音楽活動に復帰していきました。

 

これらの困難な時期を乗り越えたリムスキー=コルサコフは、その後も多くの名作を生み出し、ロシア音楽の発展に大きく貢献しました。彼の作品には、これらの個人的な経験が反映されているとも言えるでしょう。

 

 

ムソルグスキーの死後も作曲活動が出来なかったと聞きますが、本当でしょうか?

 

ChatGPT

ニコライ・リムスキー=コルサコフは、友人であり同僚のモデスト・ムソルグスキーの死後も、作曲活動を続けました。しかし、ムソルグスキーの死(1881年)はリムスキー=コルサコフに深い影響を与え、一時的に彼の創作活動に停滞が見られたのは事実です。

リムスキー=コルサコフは、ムソルグスキーの未完の作品や手稿を整理し、補完する仕事にも取り組みました。これには、ムソルグスキーのオペラ「ホヴァンシチナ」や「ボリス・ゴドゥノフ」の編曲が含まれます。彼は友人の遺産を守り、広めることに尽力しましたが、これが彼自身の作曲活動に一時的な影響を与えたことは考えられます。

しかし、リムスキー=コルサコフはその後も作曲を続け、多くの重要な作品を残しました。例えば、彼の有名な交響詩「シェヘラザード」(1888年)や「スペイン奇想曲」(1887年)は、ムソルグスキーの死後に作られたものであり、これらの作品はリムスキー=コルサコフの創作活動が続いていたことを示しています。

したがって、ムソルグスキーの死後にリムスキー=コルサコフが一時的に作曲活動に困難を感じたことは確かですが、完全に作曲をやめてしまったわけではなく、むしろその後も積極的に音楽活動を続け、重要な作品を生み出し続けました。

 

このような作曲時時間が取れない時期においても、細切れの時間を使っておそらくは作曲を完全にやめることはなかったのではないか?そのように想像します。

ベートーヴェンの耳の病もそうですが、困難な問題に直面しても、試行錯誤や工夫をすれば、そのための時間を捻出できるし、それは理由にはならない。そのような思いを新たにしました。

機会があったらリムスキーコルサコフのシェヘラザードやスペイン奇想曲を聞きたいです。

 

さぁ!明日も一日全力投球します。!!

最後まで読んでいただき感謝です。

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